光の届かぬ路地を、音と気配で歩く。
見えぬ目で町を見つめ、触れる指先で心を知る。
按摩(あんま)の一日を描く。
■ 夜明け ― 指で聴く朝
夜明け前、長屋の一角。
按摩の政吉は、簞笥の上の三味線を撫で、音を確かめる。
目は見えない。
けれど、音と空気で世界を測る。
指先に息を吹きかけ、手の感覚を温める。
「今日も、ええ手でいこう」
路地に出ると、夜露が草履に触れる音がする。
それが、政吉の“地図”だった。
■ 朝 ― 客を探して歩く
「按摩〜、按摩〜。肩こり、腰の痛み、ほぐしていきましょう〜」
静かな町に、ゆっくりとした声が響く。
杖の先で地面を探り、軒先の木の香りで家を知る。
「おう政さん、今朝も早ぇな」
声を聞き分けて笑う。
「おや、豆腐屋の旦那。今日は腰が重そうだ」
「お前さんには敵わねぇ」
町の人々は、政吉の声を聞くだけで安心した。
按摩は医者であり、友であり、時には人生相談の相手でもあった。
■ 午前 ― 手の記憶で治す
常連の家に着くと、畳の上に座り、静かに手を当てる。
肩、背中、腰。
指が沈み、呼吸が合う。
「昨日より冷えが強ぇですね」
「そうかい、そんなことまでわかるのかい」
「風が変わったんで、血が固まってます」
見えぬ目に代わり、指が見ている。
皮膚の下の熱、筋の張り、息の乱れ。
触れた瞬間に、人の暮らしの跡が伝わる。
■ 昼 ― 音と匂いの町
昼時、寺の鐘が遠くで鳴る。
政吉は茶屋の軒先に腰を下ろし、温い茶をすする。
風に乗って焼き団子の匂いが漂う。
「焼けすぎだな、今日は風が強い」
茶屋の婆が笑う。
「見えねぇのに、よくわかること」
「風と音が、教えてくれるんですよ」
按摩は目で見ない代わりに、五感の残り全部で世界を読む。
■ 夕刻 ― 光のかわりに声を聴く
日が暮れるころ、
路地の向こうで三味線が鳴る。
政吉の相棒、おきんが弾いている。
按摩は音をたどり、歩幅を合わせる。
「お疲れさん、今日もよく歩いたね」
「おきんさんの音があれば、道に迷わねぇ」
「ふふ、あたしも迷わないように弾いてるよ」
灯がともる長屋。
政吉はその灯を見られない。
けれど、誰よりも灯のぬくもりを知っている。
■ 夜 ― 闇に溶ける手
夜、仕事を終えると、小さな行灯の前で手を合わせる。
今日ほぐした人々の顔を思い出す。
見たことはないが、触れた温もりで全部わかる。
「明日もまた、誰かの痛みを軽くできりゃ、それでいい」
外では虫が鳴き、風が障子を揺らす。
政吉はその音を“光”のように感じながら、静かに横になる。
■ ナレーション(締め)
見えぬ目で町を歩き、聴こえぬ痛みを指で癒やす。
江戸の按摩たちは、光のない世界で、人の温もりを見ていた。
――闇を歩き、人を癒やす。
それが、江戸の按摩の仕事であり、生き方だった。
次回は「江戸・風呂焚きの一日|湯を守り、町をあたためる」です。
参考・参照リンク(江戸時代)
※本カテゴリの記事は上記の史料・展示情報を参考に再構成しています。
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