江戸・按摩の一日|闇を歩き、人を癒やす

江戸時代の按摩が客の肩を揉んでいる。視覚障害者の按摩職人。 江戸時代、男性2人、按摩の手、客の肩、畳、真剣な表情、背景に長屋。

光の届かぬ路地を、音と気配で歩く。
見えぬ目で町を見つめ、触れる指先で心を知る。
按摩(あんま)の一日を描く。


■ 夜明け ― 指で聴く朝

夜明け前、長屋の一角。
按摩の政吉は、簞笥の上の三味線を撫で、音を確かめる。
目は見えない。
けれど、音と空気で世界を測る

指先に息を吹きかけ、手の感覚を温める。
「今日も、ええ手でいこう」
路地に出ると、夜露が草履に触れる音がする。
それが、政吉の“地図”だった。


■ 朝 ― 客を探して歩く

「按摩〜、按摩〜。肩こり、腰の痛み、ほぐしていきましょう〜」
静かな町に、ゆっくりとした声が響く。
杖の先で地面を探り、軒先の木の香りで家を知る。

「おう政さん、今朝も早ぇな」
声を聞き分けて笑う。
「おや、豆腐屋の旦那。今日は腰が重そうだ」
「お前さんには敵わねぇ」

町の人々は、政吉の声を聞くだけで安心した。
按摩は医者であり、友であり、時には人生相談の相手でもあった。


■ 午前 ― 手の記憶で治す

常連の家に着くと、畳の上に座り、静かに手を当てる。
肩、背中、腰。
指が沈み、呼吸が合う。

「昨日より冷えが強ぇですね」
「そうかい、そんなことまでわかるのかい」
「風が変わったんで、血が固まってます」

見えぬ目に代わり、指が見ている。
皮膚の下の熱、筋の張り、息の乱れ。
触れた瞬間に、人の暮らしの跡が伝わる。


■ 昼 ― 音と匂いの町

昼時、寺の鐘が遠くで鳴る。
政吉は茶屋の軒先に腰を下ろし、温い茶をすする。

風に乗って焼き団子の匂いが漂う。
「焼けすぎだな、今日は風が強い」
茶屋の婆が笑う。
「見えねぇのに、よくわかること」
「風と音が、教えてくれるんですよ」

按摩は目で見ない代わりに、五感の残り全部で世界を読む。


■ 夕刻 ― 光のかわりに声を聴く

日が暮れるころ、
路地の向こうで三味線が鳴る。
政吉の相棒、おきんが弾いている。
按摩は音をたどり、歩幅を合わせる。

「お疲れさん、今日もよく歩いたね」
「おきんさんの音があれば、道に迷わねぇ」
「ふふ、あたしも迷わないように弾いてるよ」

灯がともる長屋。
政吉はその灯を見られない。
けれど、誰よりも灯のぬくもりを知っている


■ 夜 ― 闇に溶ける手

夜、仕事を終えると、小さな行灯の前で手を合わせる。
今日ほぐした人々の顔を思い出す。
見たことはないが、触れた温もりで全部わかる。

「明日もまた、誰かの痛みを軽くできりゃ、それでいい」

外では虫が鳴き、風が障子を揺らす。
政吉はその音を“光”のように感じながら、静かに横になる。


■ ナレーション(締め)

見えぬ目で町を歩き、聴こえぬ痛みを指で癒やす。

江戸の按摩たちは、光のない世界で、人の温もりを見ていた。

――闇を歩き、人を癒やす。
それが、江戸の按摩の仕事であり、生き方だった。

次回は「江戸・風呂焚きの一日|湯を守り、町をあたためる」です。

前回の江戸の一日目次次回の江戸の一日


参考・参照リンク(江戸時代)

※本カテゴリの記事は上記の史料・展示情報を参考に再構成しています。


江戸の一日シリーズ

応援いただけると励みになります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!