江戸の長屋四畳半に家族4人、押入れがない、布団はどこに片付けた?

江戸時代の庶民が暮らしていた長屋。

よく「九尺二間」と呼ばれる小さな住まいで、土間の奥に四畳半ほどの部屋がある。そこに夫婦と子ども2人、家族4人で暮らすこともありました。

ここで、現代の四畳半を想像すると疑問が出てきます。

「4人分の布団、どこに片付けるの?」

押入れがあればまだ分かります。でも、庶民の小さな裏長屋には、現代の住宅にあるような大きな押入れが標準装備されていたわけではありません。

では、昼間の布団はどうしていたのでしょうか。

布団は畳んで部屋の隅へ

答えは意外と単純です。

畳んで部屋の隅などに置いていました。

現代のように「布団は押入れの中に入れて見えなくする」という生活様式ではありません。

そもそも当時の庶民が、現在の私たちと同じような立派な掛け布団と敷き布団を家族全員分持っていた、と考えるのも少し違います。

寝具は家の経済状態によってかなり差があり、綿の入った布団は決して安いものではありませんでした。むしろ夜着と呼ばれる綿入りの着物のような寝具や、むしろ、ござなどを利用する暮らしもありました。

つまり「4人家族だから、敷布団4枚、掛け布団4枚」という現代の感覚を、そのまま江戸時代に持ち込まない方がよさそうです。

家具ではなく「箱」にしまう

衣類などの収納には、葛籠や行李、長持などが使われました。

現代の住宅では収納を家の一部として作ります。

押入れ、クローゼット、食器棚、シューズボックス。

ところが江戸の庶民の生活では、持ち物を箱や籠などに入れておくことが多く、収納そのものを動かすことができました。

これは江戸という町の事情とも相性がよかったのでしょう。

江戸は火事が非常に多い町でした。

家財が少なく、持ち運べる形になっていれば、いざという時にも動きやすい。借家である長屋から別の場所へ移る時にも便利です。

四畳半が昼と夜で別の部屋になる

そして一番面白いのは、四畳半という一つの空間に「用途」が固定されていなかったことです。

朝になれば寝具を片付ける。

そこで朝食を食べる。

昼間は仕事をしたり、子どもが過ごしたりする。

夕方には食事をする。

夜になったら、また寝具を広げる。

同じ四畳半が、寝室、居間、食堂、仕事場へと一日の中で変化します。

現代なら、

「ここはリビング」 「ここは寝室」 「ここはダイニング」

と空間を分けます。

江戸の長屋では、空間を分けるのではなく、時間によって使い方を変えていたわけです。

そもそも家の中にないものが多い

四畳半で家族が暮らせた理由は、収納だけではありません。

トイレは共同。

井戸も共同。

風呂は銭湯。

現在の住宅なら家の中に必要な設備を、長屋では外で共有していました。

さらに冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ソファ、ベッド、ダイニングテーブルといった大型家具や家電もありません。

そう考えると、「四畳半しかなかった」というより、

生活に必要な機能の一部を、長屋全体と町で共有していた

と考えた方が分かりやすいかもしれません。

押入れがない暮らしから見えてくるもの

最初は単純な疑問でした。

「押入れがないのに、布団をどこへ片付けたんだろう?」

でも調べていくと、これは収納方法だけの話ではありません。

持ち物が少ない。

一つの部屋を何通りにも使う。

井戸や便所を共同で使う。

風呂は町の銭湯を使う。

必要以上のものを家の中に抱え込まない。

江戸の四畳半は、単に「昔の人は狭いところで我慢していた」という話ではなさそうです。

今の私たちとは、そもそも「家の中に何を持つのか」という考え方そのものが違っていたのでしょう。

四畳半に家族4人。

現代なら「狭すぎる」と感じます。

でも江戸の人に現代の家を見せたら、逆にこう聞かれるかもしれません。

「こんなにたくさんの物、いったいどこで使うんですか?」

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