日本橋魚河岸を舞台にした「魚荷人足(うおににんそく)」の一日

掛け声が重なり、魚荷人足たちが一斉に桶を担ぎ上げる。 木の桶には、まだ跳ねる鰯、銀色に光る鯖、そして赤い鯛。 海の匂いが一気にあたりに満ちる。

――時代は文政年間。江戸の町が最も賑わっていた頃の情景です。


■ 江戸・日本橋魚河岸の朝

夜明け前、午前四時。
まだ薄暗い空に、川霧がゆらりと立ちこめている。
隅田川の水面をかすかに照らすのは、行灯の橙色の光。
川の上では「どん、どん」と櫓(ろ)を漕ぐ音。
房総沖からの伝馬船が、今日も江戸の胃袋を支える“命の荷”を運んでくる。


■ 荷揚げ ――人足たちの開戦

「よっ、せぇのっ!」
掛け声が重なり、魚荷人足たちが一斉に桶を担ぎ上げる。
木の桶には、まだ跳ねる鰯、銀色に光る鯖、そして赤い鯛。
海の匂いが一気にあたりに満ちる。
藁で包んだ桶の隙間からは、潮水がぽたぽたと滴り、
裸足の足元を濡らしていく。

荷揚げ場は戦場だ。
時は金。魚は時間と競争している。
遅れた魚は値が落ちる。
魚河岸の人足たちは、無言でそれを知っていた。


■ 市場 ――声と汗と金の渦

夜が明けると、江戸の空は白んでくる。
鐘が鳴り、「市場開けぇぇぇぇ!」の声が響く。

「鯛はどうだ!今朝の鴨川もんだ!」
「こっちは銚子鰯!脂がのっとる!」

魚商たちが声を張り上げ、値が飛び交う。
買い手は料理屋、屋台、町中の煮売屋(にうりや)。
人足はその傍らで、天秤棒に桶を二つ吊るし
「どこまでだい?」と声をかける。

坂を上る足、汗のにおい、桶の水音。
通りを抜ける風に混じって、魚と味噌の匂いが流れる。


■ 午後 ――小休止の茶店

昼過ぎ、ひと段落。
人足たちは市場裏の茶屋で、味噌汁と飯をかき込む。
味噌は少し酸っぱく、塩気が強い。
けれど、体に染みる。

「お前、昨日は芝のほう回ったんだろ?あっちは高ぇか?」
「いや、料亭がえらい値をつけてきた。だがよ、重たくて腰がな…」

笑いとため息が交じる。
茶屋の女将が差し出す熱い番茶をすする音が、
一日の疲れをほんの少しだけ和らげる。


■ 夕方 ――再び船が来る

午後四時、また川面がざわめき始める。
日中に出た小舟が、江戸前の海から再び戻ってきた。
この頃には、魚河岸の男たちの肌は海風に焼け、
手はひび割れて塩で白くなっている。

それでも誰も弱音を吐かない。
なぜなら彼らは知っている。
江戸百万の胃袋が、自分たちの背にかかっていることを。


■ 夜 ――静かな港、消える音

夜になれば、魚河岸は別の顔になる。
桶を洗う音、水を打つ音、竹箒が地面をすべる音。
あれほど騒がしかった市場が、
いつしか虫の声と川のせせらぎに包まれる。

人足たちは木賃宿に戻り、
濡れた足を洗いながら、黙って空を見上げる。
明日もまた、夜明けとともに川が呼んでいる。


■ ナレーション風の締め

魚を運ぶとは、海と町をつなぐこと。
荷を担ぐとは、江戸を支えること。
彼らに休みはなく、
彼らの汗が、江戸の食を支えていた。

――日本橋魚河岸。
その喧噪の裏に、見えぬヒーローたちがいた。


次回は「江戸・火消の一日|火事と喧嘩は江戸の華」です。

目次次回の江戸の一日


参考・参照リンク(江戸時代)

※本カテゴリの記事は上記の史料・展示情報を参考に再構成しています。


江戸の一日シリーズ

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