夜明け前の荷駄隊
まだ月が残る未明、山道を行く荷駄隊がいた。馬の鼻息が白く、俵の縄がきしむ。風に揺れる松の間を抜けると、湿った土と麦の匂いが混ざった。
先を行く兵が振り返り、声を潜めて言う。「この米が尽きたら、俺たちの命も尽きる。」
戦場の夜明けは、刀の音よりも、まず腹の音から始まった。
兵站という見えない戦場
戦国時代の戦は、剣や槍ではなく「兵站」が勝敗を決めた。兵站とは、食料・武具・馬・水・情報――すべての”流れ”を保つ仕組みである。
兵一人が一日に食べる米はおよそ2合半。一千人の軍が十日間行軍すれば、25石(約3.7トン)の米が要る。そこに馬の飼料、塩、味噌、矢、布。遠征とは、戦うよりもまず運ぶ戦いだった。
信長は街道ごとに米蔵を置き、補給を連鎖させた。秀吉は兵站線を途切れさせず、補給隊に銭を配った。家康は遠征中も農民を徴発せず、秩序ある補給を守った。名将の条件とは、敵を斬るよりも味方を飢えさせないことだった。
守る側にも知恵があった。敵の道を焼き、橋を落とし、井戸を汚し、焦土と化す。こうして「兵糧攻め」が最強の戦術となる。刀を振るわずして勝てる戦――それが補給線を断つ戦だった。
だが、補給の重さは兵の心にも降りかかる。俵を背負って山を越えるうちに、兵はいつしか戦の意味を忘れる。戦とは、腹を空かせた者たちが”食うために戦う”矛盾の連鎖でもあった。
現代の兵站を考える
現代に置き換えれば、兵站とは「生活の維持」そのものだ。車中泊でも、まず探すのは景色ではなく、食と水とトイレの位置。自由な旅も、物流が止まれば一夜で不自由に変わる。
私たちの日常も、見えない補給線の上に立っている。刀よりも米俵。力よりも仕組み。そして、戦よりも整えること。それを忘れた瞬間、現代の文明もまた、静かに崩れはじめるのかもしれない。
なりさん川柳
なりさん飢えぬ道
見つける知恵が 勝ちの道

