焚き火のそばで、筆を取る
夜。戦の火の粉がまだ空に漂う。焚き火の明かりのもとで、武将は筆をとる。紙はすすで黒ずみ、墨は冷えかけている。「今日、誰が倒れ、どの陣が動いたか。」その一行一行が、誰かの命の記録だった。戦場の真実は、口では流れ、書かなければすぐに消えた。だから筆を握る手は震えながらも、生き延びた者の責務を果たした。
戦を動かす“書く力”
■ 報告と命令
戦国の軍では、「書くこと」が戦略の一部だった。叫声や伝令だけでは届かない局面が多く、紙と筆が命を運んだ。
- 戦況報告:どれだけ進軍し、どの砦・峠・渡河点を確保したか
- 人員報告:戦死・負傷・生還、指揮系統の変動
- 要請書:兵糧・矢弾・医薬・援軍の手配
これらは基本的に書状や覚書で伝達された。とりわけ実地からの書付は、命令文以上に「生死」を刻む一次報告として扱われ、筆をとる者は声を失った仲間の代弁者となった。墨の黒は血の色に寄り、書くことは同時に弔いでもあった。
■ 文字の記録と人の記憶
戦ののち、実績は「軍忠状」などの形で取りまとめられ、誰がどの敵を討ち、いかなる功を立てたかが恩賞や加増・知行再配分の根拠となった。すなわち、記されない働きは可視化されず、存在の証明が弱くなる。読み書きできぬ兵は少なくなかったため、自署の代わりに花押や印形が用いられた。押印ひとつが、その者の参戦と生存の証だった。
■ 書くことは“生き直す”こと
筆をとる行為は記録であり、同時に儀式でもあった。恐怖と混乱を墨に封じ、明日の自分へ「今日も生きた」と伝える。ある記録に「書くほどに心静まる」とあるように、書は心を整える作法となった。文字は、戦の只中で精神を保つための小さな避難所でもあった。
記録は時代を越える声
いま、指はキーボードや画面で文字を打ち、写真や位置情報で日々を記録する。だが根は同じだ。「書く」とは、生の痕跡を残し、他者に伝え、未来の自分に渡すこと。SNSの投稿も日記も報告書も、機能としては小さな軍忠状に似ている。伝えたいという願いが文明を支え、連綿と継がれてきた。書くことは、生きること。記録とは、命の証明である。
なりさん筆すべり
命とともに 残りけり

