夜の陣屋、静寂の中で
松明が燃え、煙が夜気に滲む。草の上に敷かれたむしろの陰で、兵がそっと腰を下ろす。遠くから犬の遠吠え、風が土の匂いを運ぶ。
山の夜は冷たく、虫の声が腹の底に響く。矢も刀も握っていないこの瞬間、人はただ「人として」生き延びようとしていた。
戦の裏にあった”もう一つの戦場”
行軍中、兵は列を外れて林の陰で用を足した。規律の厳しい軍では、時間や場所まで決められていた。灰をかけ、土で覆い、臭いが立てば叱責を受けた。敵に位置を悟られぬためでもある。
野営地では「陣便所」と呼ばれる穴を掘り、風下に置くのが鉄則。灰や砂をまき、病を防ぎ、士気を守るのも兵站の一部だった。
大名クラスになると、木製や漆塗りの携帯便器を使い、従者が処理する。戦場でも身分差は残る。
籠城戦ではさらに過酷になる。食糧が尽きれば、灰をまく余裕もなく、井戸が汚れれば水と排泄物の境目がなくなる。鳥取城や高松城の記録には、「泥濘にて歩行困難」「悪臭にて兵の士気下がる」と残る。
飢えと悪臭と病。刀ではなく、不衛生が人を殺す。
だが、こうした中でも秩序は保たれた。身分に応じた設備を作り、清掃を組織し、可能な限り衛生を保つ。戦国の衛生管理とは、命の線をわずかに保つための知恵だった。
つまり、「生活を制する者が戦を制す」。戦は力より、日常を整える力の勝負でもあったのだ。
現代の”静かな戦場”
現代に置き換えれば、旅人が夜の道の駅でトイレを探すあの切実さこそ、戦国の兵と同じ”生き延びる感覚”に近い。自由な車中泊も、清潔な設備があるからこそ成立する。
清潔は贅沢ではない。文明の基礎であり、安心の証。見えないインフラを整えること。誰も語らない裏側に心を配ること。それこそが、どんな時代でも人が人らしく生きるための戦略だ。
なりさん川柳
なりさん夜の音
出すも生きるも 同じこと

