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城を失うということ─城は家ではなく、国そのものだった

戦国時代の城下町

城に夜が落ちる

山の端に夕日が沈むと、城下の空気が一気に冷えた。石垣の隙間を抜ける風が、かすかに血と土の匂いを運ぶ。見張りの兵は火縄をくゆらせ、矢立を握る手を固くしていた。

下の町では、女たちが鍋の蓋を押さえ、子どもを背負って逃げ支度を整える。その目の先にあるのは、ただ一つ――「落ちぬはずの城」。

城という”生き物”

戦国時代の城は、単なる建物ではなく、国の体そのものだった。堀は血管、櫓は目、天守は心臓。倉庫には米、井戸には水、塀の中には命と情報が詰まっていた。

城があるということは、そこに秩序があるということ。年貢が集まり、裁きが行われ、人が守られていた。戦のときには兵が籠もり、平時には市場や祭りが開かれる。つまり、城は「政治」「経済」「軍事」「信仰」が交わる人間の営みの中枢だったのだ。

落城とは、そのすべての機能が同時に停止することを意味した。主君が討たれれば、家臣は散り、町の人々は明日の主を探す。それは国の終わりであり、信頼の崩壊でもあった。

織田信長の安土城は、武力と秩序の象徴として天を突いた。秀吉の大坂城は、天下人の威信を示す心臓として輝いた。やがて江戸の世になり、城は戦うための要塞から、支配を見せるための”舞台装置”へと変わっていく。

だが、どの時代にも共通していたのは、「城がある場所にこそ、人の暮らしが根づく」という事実だった。

現代の”城”を探す

もし今の私たちに置き換えるなら、城を失うというのは、”安心して泊まれる場所”を失うことに近い。旅人にとっての城は、道の駅のトイレであり、夜明けを迎えられる車内かもしれない。

自由とは、好きに動くことではなく、止まれる場所を持つことから始まるのだ。戦国の武将が城を建て、守り、奪い合ったように、私たちもまた、自分の拠点を探し続けている。それが車の中であれ、心の中であれ。

なりさん川柳

なりさん

止まる場所 見つけた時が 生きる時

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