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戦場の馬学|疲れを知る者が勝つ─人も馬も、限界の先に戦った

戦国時代の行軍中で休む馬の様子

朝靄の中、馬が息を吐く

夜明け前の野営地で、兵たちは静かに馬の背を撫でている。遠征三日目、山を越え川を渡り、馬の脚には乾いた泥がこびりつく。吐く息は白く、肩は規則正しく上下する。誰もが知っていた。

馬の足が止まれば、戦も止まる。戦国の戦は、人だけでなく、馬の体力との戦いでもあった。勝敗の前にまず、動けるかどうかがある。

馬もまた”兵站”の一部

戦国時代の馬は、サラブレッドのように華奢ではなく、がっしりとした日本在来種――いわば「山の軽トラ」。肩の高さは140センチほど。速くはないが、粘り強く、坂道にも川にも強かった。

だが、その分、食う。一頭あたり一日で干し草10-15キロ、穀物1-2キロが必要。百騎の軍なら、それだけで兵糧車が一列埋まる。だから、行軍の途中には「草場」や「馬屋」が欠かせなかった。

今で言えば、ガソリンスタンドと整備工場。夜は馬も休む。兵が火にあたるそばで、馬も背を拭かれ、蹄に油を塗られる。傷を負えば薬草で手当てし、腹をこわさぬよう水を加減した。

戦場とは、馬と人が互いに命を預け合う共同体だった。だが、戦が長引けば、馬も疲れる。一日に進める距離は30〜40キロ。長距離遠征では、途中で馬を替える継馬制も使われた。馬が動かなくなれば、軍の列も止まる。つまり、馬の疲労=作戦の限界だった。

疲れを知る者が、戦を制す

戦国の知将たちは、敵だけでなく「疲れ」を読んでいた。どこで休ませ、どこで水を与えるか。それは地図の上の計略ではなく、呼吸と鼓動の戦略だった。そして、この感覚は現代にも通じる。

仕事も旅も、走り続ければエンジンが焼ける。ペースを知り、休む場所を決め、次に備える。疲れを知らぬ者は倒れ、疲れを受け入れた者が、長く走る。馬をいたわる者こそ、国を治める器。無理をしないことこそ、続ける知恵。

なりさん

止まるにも
 勇気がいると 馬が言う

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