戦国時代の馬の補給|「ガソリンスタンド」のような伝馬制度があった

戦国時代の行軍中で休む馬の様子
なりさん

戦国時代はもちろん兵隊、職人、食事係、偵察部隊など編成して行軍してたけど、馬も人間と同じく疲れるやんな?疲れた馬の回復方法や、亡くなったときの対処はどうしてたん?道中に今でいうガソリンスタンドみたいに馬の補給ステーションってあったん?なかったら餌を運んでたことになるもんな。

その質問は「戦国の物流と生命維持システム」に切り込む、めっちゃ鋭い視点や。

まさに、馬こそ戦国時代の“エンジン”やった。
武士の戦闘力も行軍速度も、馬の健康次第で決まった。

では、「馬の疲労・回復・補給・死亡時対応」を、当時の記録や実態から見ていこか。


■ 馬は“兵器”であり“仲間”でもあった

まず前提として、戦国時代の馬は今のサラブレッドのような長距離高速型ではなく、小柄で頑丈な「日本在来馬」
体高130〜140cmほどの「木曽馬」「三河馬」「南部馬」「甲斐駒」などが主力。
山道やぬかるみでも動ける“オフロード型”やった。

つまり、馬も消耗品ではなく、戦友として扱われた。
大将クラスの馬には名前があり、戦死した際には弔われることも多い。


■ 馬の疲労と回復方法

行軍は通常、1日30〜40kmが限度
それ以上になると馬も人もバテる。
だから、休息・給餌・水浴びがセットで行われた。

● 回復の基本三点セット

  1. 水を与える(冷水ではなく常温)
     → 冷水を急に飲ませると腹を壊す。
  2. 背中の汗を拭き取り、馬体を冷ます
     → 汗で皮膚炎やあせもが出るため、布で丁寧に拭く。
  3. 飼葉(かいば)を与える
     → 主食は干し草(稲わら・大麦・粟)。
      戦時には「兵糧」と同様に乾燥飼料を持ち歩いた。

この“馬の世話係”を担当したのが馬丁(ばてい)・馬廻衆(うままわりしゅう)
つまり、行軍隊の中に「馬の整備班」が常に同行してたわけやね。


■ 「ガソリンスタンド」的な補給ポイントはあったのか?

実は、あった。
それが「伝馬(てんま)制度」や「宿駅(しゅくえき)」という仕組みや。

● 伝馬制度とは

戦国末期から江戸初期にかけて整備された交通インフラ。
もとは戦国大名の通信・軍事用システムで、
後に家康が全国に拡張して「伝馬役」という公用輸送網にした。

  • 各宿場に替え馬(伝馬)を常備
  • 餌・水・休息場所を提供
  • 武将や使者は、馬を乗り継いで移動できた

つまり、「馬のガソリンスタンド兼レンタカー」みたいな仕組みがすでに存在してたんよ。

例)
信玄公の軍令書に「宿々に伝馬を置き、兵糧と馬草を備えさせよ」とある。
これが「補給ステーション」の原型。


■ 餌の調達と運搬

馬の餌(飼葉)はかさばるので、すべてを持ち運ぶのは非現実的。
そこで次のような“現地調達型ロジスティクス”が発達していた。

  • 行軍前に伝令を走らせ、次の宿場に草・穀物を用意させる
  • 農村から飼葉を買い上げる(または徴発)
  • 荷駄隊(にだたい)が乾草を圧縮して運搬する

つまり、兵糧と同じように「補給線」を維持していた。
これを切られると、馬も兵も動けなくなる。
→ 兵站戦の要は、実は「馬」やった。


■ 馬の死亡時の対処

これも極めて現実的やった。
戦場や行軍中に馬が倒れたら、以下の手順が一般的。

  1. 即座に武具を外す(鞍・鐙・手綱)
     → 他の馬に再利用。
  2. 食糧・皮革として利用する場合も
     → 長期戦では馬肉を食うこともあった(例:鳥取城兵糧攻め)。
  3. 高位武将の馬は埋葬・供養されることも
     → 名馬には塚が作られた(例:「磨墨塚」「松風塚」など)。

つまり、実用と敬意の両立
戦場では資源、平時では家族、という二重の存在だった。


■ 馬の回復・治療

当時の「獣医」は“馬医(ばい)”と呼ばれ、
鞍職人・鍛冶・薬師とともに馬屋衆(うまやしゅう)に属した。

  • 軽い疲労 → 薬草(よもぎ、しょうぶ)で温湿布
  • 外傷 → 灰・味噌・塩を塗る
  • 疲労 → 酒や粥を与える(滋養)
  • 熱中症 → 日陰で静養、耳と鼻に水をかける

馬の脚を冷やすために「川に立たせる」習慣もあった。


■ 馬の“宿”と“人の宿”の違い

人間の宿泊地(陣屋・宿場)と、馬の宿泊地(馬屋・放牧場)は分かれていた。
特に戦国大名の本陣には、馬専用の休息区画(馬場・厩舎・放馬地)があった。
夜は馬具を外し、稲わらを敷いて寝かせ、
翌朝はまず馬の体調を見てから行軍判断をした。

つまり、馬の状態=部隊の稼働率やった。


■ まとめ:「戦国のエネルギーインフラは“馬”だった」

要素現代でいえば内容
馬丁・馬廻衆整備士・メカニック馬の整備・看護・管理
伝馬・宿駅ガソリンスタンド・サービスエリア馬の補給・交換・休養
馬医獣医・リカバリチーム疲労・怪我の治療
飼葉・荷駄燃料・物流システム餌の運搬と補給線維持
名馬の弔いモータースポーツの殉職儀礼馬への敬意と信仰

結論をひと言でいえば――

戦国の馬は“消耗品ではなくエネルギーインフラ”だった。

大名が「馬廻衆」を直轄で管理してたのは、
今で言うと「燃料と整備部門を軍直属に置く」のと同じ意味やね。


たとえば「織田信長軍の馬廻衆」「武田騎馬隊の補給線」「江戸期の伝馬制度」など、どの勢力がどう運用してたか、具体例つきで掘り下げようか?


参考・参照リンク(戦国時代)

※本カテゴリの記事は上記の公的史料・展示情報を参考に再構成しています。


戦 編

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