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笛と太鼓の夜|戦が終わった日の音楽─戦が終われば、人はまず歌う

昔の人々が、仕事の延長として歌や掛け声と共に働く風景。農作業や木挽き、船漕ぎの様子

静けさのあとに、音が戻る

戦が終わった夜、村には久しぶりに風の音が戻った。焦げた木々の間で、一人の男が笛を吹く。最初の音は震えていた。でも、二つ目の音で誰かが笑った。三つ目の音で子どもが手を叩いた。やがて太鼓が加わり、笛と合わさって、村が息を吹き返した。音楽は、祈りの代わりだった。戦の終わりを告げ、生き残った者たちを”人間”に戻すもの。

人はなぜ、叩き、吹き、歌うのか

労働と音のリズム
農作業の掛け声、船を漕ぐ節回し、田植え唄や木挽き唄(こびきうた)。昔の音楽は、仕事の延長にあった。身体を動かしながら声を出すことで、苦労を調律する。「エンヤコラ」「ソレソレ」といった掛け声は、ただの合図ではなく、呼吸と力をそろえるための”音の共同体”。つまり、音は協力の道具だった 。

太鼓のルーツ:戦から祭へ
太鼓はもともと戦の道具。合図、鼓舞、敵を威嚇するためのもの。だが戦が終わると、太鼓は祭りの音になった。戦陣で鳴らされた太鼓が、村では五穀豊穣の太鼓に変わる。叩く手が、殺意から祈りに変わる。武のリズムが、和のリズムへ。戦国の鼓手が里へ戻り、祭り囃子(ばやし)の始祖になったという説もある。

笛の音:死者と生者をつなぐ
笛は古くから”魂を呼ぶ音”とされた。山の神を迎える笛、盆踊りの笛、死者を送る笛。音は風に乗り、聞こえる人と、聞こえない人をつなぐ。だから笛を吹くことは、亡き者ともう一度話すことでもあった。

踊りと笑い:命の回復
太鼓に合わせて人が集まり、踊る。それは「祝う」よりも先に、「生きている」を確かめる儀式。盆踊りの原型も、もともとは疫病や戦の死者を慰めるための”鎮魂の舞”。踊りながら、笑いながら、人は心の中にこびりついた恐怖を少しずつ溶かしていった。音と笑いが、人を再び人に戻した。

音は生きるリズム

音楽とは、誰かのために作るものではなく、「まだ生きている自分」を確かめるための行為だった。笛と太鼓が鳴るとき、人は自然と笑う。その笑いの中には、涙と祈りと希望がまざっている。現代でも、災害のあとのステージや路上ライブに人が集まるのは、音が”生きる証”だからだ。音は武器ではなく、記憶の回復装置。叩くたび、吹くたび、人は再び立ち上がる。

なりさん

音ひとつ
 生きてる証 風に乗る

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