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めぐる暮らし|昔の日本人とSDGsの原型─使い切ることが、美しかった時代

家庭では春になると布団の綿を抜き、秋になると詰め直した。

捨てるという発想がなかった

昔の日本には「ごみ」という概念がほとんどなかった。壊れた刀は打ち直し、着物は縫い継ぎ、人の排泄物までも肥料として再利用された。それは貧しさゆえの工夫ではなく、生きることそのものが循環していた時代。「もったいない」という言葉は、節約ではなく生かしきる誇りだった 。

三つの時代に見る”循環の思想”

平安時代:自然と共に生きる”祈りの循環”
平安の貴族たちは自然の変化を恐れず、季節の移ろいとともに暮らした。衣は麻や絹。破れれば裏地にし、古くなれば紐として使う。食の残りは鳥や犬へ、命を無駄にせず自然へ返した。死もまた循環の一部。火葬して灰を山へ戻す。祈りと再生が一体だった。

江戸時代:リサイクル社会の完成形
江戸は「世界初の循環型都市」と言われる 。紙屑買い:古紙を回収し、再生紙に。灰買い:かまどの灰を農家が肥料に。下肥買い:人糞を金で買い、田畑にまく。行灯油の再利用:搾って再点灯。これらは政策ではなく、庶民の生活の知恵だった。「捨てる」より「活かす」ことが正しかった 。

現代:制度化された”循環”
現代のリサイクルやSDGsは、理念としては進んでいる。だが、どこか「他人ごと」になってしまっている。昔の人は、意識せずとも循環していた。なぜなら、生活の中に”手の記憶”があったからだ 。

手が覚えていた、めぐりの技

布団と綿の出し入れ
江戸から明治にかけて、家庭では春になると布団の綿を抜き、秋になると詰め直した。この年中行事が、針仕事を自然に鍛える「生活の稽古」だった。綿を干し、布を繕い、また縫う。母が縫い、娘が覚え、家の技になる。縫うことは、修理ではなく、季節の挨拶だった。着物も同じ。使い古した反物は寝間着、次に座布団、最後は雑巾、燃やして火種にして終わる。衣の命を最後まで生かす文化がそこにあった 。

器用さは”倫理”だった
だから日本人の器用さは天性ではない。「壊れたものを直す」ことが、生きるマナーであり、美意識だった。綿を詰め直す手、針を通す目、それらはリサイクルではなく”儀式”だった。つまり、技術と精神が一体になった生活の宗教だった 。

めぐる心、めぐる暮らし

平安は”祈りの循環”、江戸は”仕組みの循環”、現代は”制度の循環”。それぞれの時代が違っても、共通していたのは「生かしきる」ことへの尊敬。刀も、衣も、肥も。すべてが命のかけらとして、また次へ渡っていった。現代のSDGsが目指す未来は、かつての暮らしの中にすでにあった。持続可能とは、難しい言葉ではなく、手を動かす暮らしのリズムだったのだ。

なりさん

繕えば
 心もまた めぐり出す

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