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戦場に生きる人々|踏まれ、逃げ、また戻る─歴史の表には書かれなかった日常

戦国時代の戦後、焼け野原となった場所に住む人々が、瓦礫の中から生活の痕跡を探している様子。大人が使えるものを拾い集め、子供が焦げた竹の笛を吹いているという、希望と悲哀が入り混じった情景

焼け跡に残る鍋と杓子

戦が過ぎたあと、野には黒く焦げた鍋と杓子(しゃくし)が転がっていた。持ち主はもういない。その鍋で炊かれた飯の匂いだけが、まだ土に残っている。ここはかつて村だった。だが戦の地図に線が引かれた瞬間、それは「戦場」と呼ばれる場所になった。人々は逃げた。家を焼かれ、畑を踏まれ、それでも、また帰ってきた 。

戦が通り過ぎる村

戦は「どこか遠く」ではなかった
戦国の時代、戦場は城だけではない。田畑も、家の裏も、道もすべて”通り道”になった。兵が通るたびに、米は徴発され、馬はつながれ、家は壊された。村人たちは戦の影で生きていた 。

男は山に逃げ、女と子は洞穴に隠れる。牛や鶏を連れて、夜を越す。隠れる前に所持している武器や防具が兵士に盗まれることが多かったので、土の中に埋めてから隠れた。それでも夜明けになれば畑に戻る。作物を見捨てれば、生きていけないからだ。彼らにとって戦とは、「非日常」ではなく「通過する自然災害」だった 。

戦が去ったあとに残るもの
戦が終わると、まずするのは「死体の片付け」だった。見知らぬ兵の亡骸をまとめ、浅く穴を掘って埋める。宗派も敵味方も関係ない。臭いが漂う前に土をかける。それが、生き残った者の”最初の仕事”だった。そのあと、焼けた家の灰を掘り、まだ使える鍋や釘を拾う。合戦後には死傷者から金目の物を盗んだり、落ち武者狩りをしたりして生計を立てることもあった 。

それでも暮らしは戻る
一度焼けた土地にも、草が芽を出す。人はまたそこに家を建て、同じ場所で飯を炊く。「ここがわたしの村だ」と言いながら。焼け跡に井戸を掘り直し、壊れた地蔵に手を合わせ、種を蒔く。それが再生のはじまりだった。戦は奪う。でも、人は戻る。人の暮らしとは、帰る力そのものだった 。

地を離れられぬという誇り

戦国の地図には、勝者の名と落城の跡ばかりが書かれている。だが、本当の歴史はその下にある。土を耕し続けた人、焼けた家をまた建てた人、そこにしかない”生活の歴史”がある。現代でも同じだ。災害のあとに人が戻り、街が再び灯る。歴史は戦の記録でできていない。暮らしをやめなかった人々の記録でできている。戦場に生きた人々は、戦を語らずに、土と火で”平和”を書き続けた。

なりさん

焼け野原
 帰る足音 春となる

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