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戦場の整え方|洗えぬ時代の清潔学─汗と鉄と煙の中で、人は人らしくあろうとした

戦国時代の足軽たちが、天気の日のふんどしを旗のようにはためかせて乾かしている。

夜風に干される下帯(ふんどし)

夜の野営地に、風が吹く。火のそばで兵たちが甲冑を外し、汗で湿った肌着や下帯を竹の竿にかけて干している。その隣では、鍋の湯気がゆらめき、鉄と煙の匂いが入り混じる。戦は終わらない。だが、せめて一夜のあいだだけでも、身体を整え、明日に備えようとする。それが、戦場の”洗濯”だった。

洗うことは、生きることだった

洗濯できぬ日常
戦国時代の野営に、洗濯機どころか「洗う余裕」すらなかった。川で衣をすすげば敵に見つかる。干しても乾かす場所がない。兵の持ち物に替えの衣はわずか。麻の下着一枚、ふんどし二枚、それが精一杯。だから彼らは、「洗う」代わりに「干した」。夜風と火の熱で湿気を飛ばし、臭いも、気持ちも、ほんの少しだけ軽くなる。風にたなびく下帯は、戦場の白旗のようだった。「今日も生き延びた」と、風が告げていた 。

着替えられぬ鎧の下で
甲冑の下には麻の肌着。戦の最中、それは汗と血で重くなり、擦れたところから皮膚炎が広がった。長い遠征では、かぶれやシラミが蔓延。兵たちは竹の櫛で髪をかき分け、灰や塩を体にすりこんで殺菌した。上級武士は、従者に肌着を乾かさせた。だが下級兵は、自分の汗をぬぐう布も限られていた。つまり、清潔は身分に比例していた。それでも、人は整えようとした。灰、湯気、草の香り。そのどれもが”洗う”という願いの代わりだった 。

眠るときの甲冑
眠るとき、兵は甲冑を脱いだ。重く、冷たく、眠りを奪う鉄。ただし、すべてを脱ぐわけではない。敵が近い夜は、胴丸だけを残して寝た。上杉謙信は「甲冑を枕に寝る」と言われたが、それはいつでも立ち上がれる覚悟の象徴だった。体を休めることも、戦の一部。甲冑を外し、肌に風を通すことが、翌日の一撃を支えた 。

整えることは、祈ることだった

戦国の兵たちは、血と泥と臭いにまみれながらも、湯を沸かし、汗を拭き、火のそばに衣を干した。それは「勝つため」ではなく、人間であり続けるための行為だった。清潔とは、体をきれいにするだけでなく、心を取り戻すための儀式だったのだ。現代の車中泊でも似ている。洗えない日、着替えが限られる夜。けれど、タオルで顔を拭くと、少しだけ世界がやわらぐ。その瞬間、人はまた「明日」を生きる準備ができる。どんな時代でも、”整える”ことが生きること 。

なりさん

洗えずも
 風にゆだねて 人である

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