雪の小町に届いた百俵
明治初年、長岡の町に雪が降っていた。
戊辰の戦で焼け落ち、家を失った人々は身を寄せ合っていた。
そのとき援助として届いた「米百俵」。歓声が上がる。
「これで食いつなげる!」
だが、藩政を託された小林虎三郎は静かに言った。
「その米は食べるな。学校を建てる費用にせよ。」
飢えた者に、なぜ食わせぬのか。町は凍りついた。
虎三郎は、今この飢えより、未来の飢えを恐れていた。
飢えより怖い“知の欠乏”
敗戦で長岡は灰の中にあった。城は焼け、武士は職を失い、民は食を失った。
隣藩の三根山藩(越前)から贈られたのが米百俵である。
常ならば炊き出しに回すところを、虎三郎は米を売り払い、学校「国漢学校」の建設資金に充てた。
「国を興すは人にあり。人を育てずして、何をもって国を興さんや。」
教育はすぐ飯にならない。だが、未来に飯を生む。
一俵の米より、一人の志。
その信念が長岡の再生の火をともし、やがて“米百俵の精神”として語り継がれる。
のちに小泉純一郎首相がこの言葉を掲げ、「痛みを伴う改革」の象徴として引用したが、
原典の物語はもっと静かで、もっと深い。教育というより、未来への信仰だった。
食べ尽くすより、残して育てる
現代の私たちも同じ岐路に立つ。
すぐ食べられる成果を求めるか、時間をかけて実る種を蒔くか。
ブログを書くことも、学びを積むことも、「すぐは食えない米百俵」に似ている。
だが、未来の誰かがそれで救われるなら、今日、食べなくてもいい。
未来は、腹を満たすより心を満たすことから始まる。
なりさん飢えし日も
米を蒔いた 人がいた

