沈黙の包囲線
夜の野原に、音がなかった。風も、馬のいななきも、槍の音もない。ただ、遠くに火の列が続いている。それは敵の陣火――静かな包囲の証。
城の中から見れば、まるで地平が赤く燃えているように見えた。しかし、矢は一本も飛ばない。敵はもう戦っていなかった。「待つことで勝つ」戦が、すでに始まっていた。
兵糧攻めという合理の極致
戦国時代、最も確実に勝つ方法は「戦わないこと」だった。力で攻めれば被害が出る。兵を失えば国が弱る。だが、敵の食と水を断てば、勝敗は時間が決めてくれる 。
この合理を極めたのが、兵糧攻めである。
羽柴(豊臣)秀吉は、鳥取城でこの戦術を完成させた。城を70箇所以上の陣城で囲み、総延長12キロに及ぶ包囲網を築いた。さらに商人に命じて米価をつり上げ、城下の米を買い占めさせ、補給を完全遮断 。
刃を交えることなく、飢えと絶望が敵を屈服させた。
江戸期の軍学書にもある通り、「勝ちて傷つくは下策、戦わずして屈すは上策」。勝つとは斬ることではなく、相手に「もう戦えぬ」と思わせることだった。
しかし、この戦術は冷酷でもある。飢えで倒れるのは、兵よりも先に民。無辜の命をも巻き込む。ゆえに武将たちは常に「理性と慈悲」の間で揺れた 。
国を救うために人を犠牲にする――それが、戦国の現実的な「合理」だった。
戦わずして勝つとは、敵を斬らず、己の情をも斬ること。その冷たさを抱えきれた者だけが、天下に手をかけた。
現代の”戦わない戦”
現代に置き換えれば、戦わずして勝つとは、「対立しないことで優位に立つ」ことに近い。論争を仕掛けられても、静かに構え、相手が自滅するまで待つ。
あるいは、リソースを奪わずに相手の意欲を枯らす。それはビジネスでもSNSでも同じだ。
旅の世界でも似た構造がある。混雑を避け、人の少ない時間に動く。争わず、競わず、ただ静かに目的地へ。それが、最も美しい「勝ち方」なのかもしれない。
なりさん勝つとはね
待つを極める 静けさよ

