なりさん「賭場はいつから?|戦国の賭け事と江戸の博徒―祭りの夜に生まれた裏の社交場」という記事の文末に書かれていた賭場と博徒の社会的役割(治安維持・金融機能)について教えて。


ここは「裏社会」=「無秩序」ではなく、むしろ非公式な秩序を担っていた存在として見ると、とても面白いテーマです。
1. 賭場と博徒の社会的な立ち位置
江戸幕府は「賭博禁止令」を何度も出していますが、現実には賭場を完全に取り締まることは不可能でした。
なぜなら、賭場は単なる遊び場ではなく、情報・金・人間関係が流通する地下のネットワークだったからです。
特に地方や宿場町では、博徒が次のような“影の自治機能”を果たしていました。
- 村や町の揉め事を仲裁する
- 祭礼や行事の資金を出す
- 治安が乱れたときに暴れ者を制圧する
- 役人の代わりに「顔役」として地域をまとめる
つまり、博徒は「裏の代官」「町の番人」のような存在でもありました。
2. 治安維持機能 ― 「親分社会」の自警ネットワーク
賭場を中心に生まれた「親分・子分」の関係は、表向きは任侠的な義理人情ですが、
実際には治安維持のネットワークでした。
- 村や港町では、地回り(じまわり)博徒が縄張りを守り、外来の悪党を排除。
- 一方で渡世人(とせいにん)や旅博徒は、移動しながら情報を運び、各地の秩序を繋ぐ役割を担った。
- 彼らは時に「捕物(とりもの)」に協力し、岡っ引き・同心とも協調関係にあった。
幕府もそれを利用し、「非公式な治安装置」としての博徒を暗黙に容認していたのです。
(まるで現代の「地域の顔役」や「半公共の存在」に近い)
3. 金融機能 ― 「地下の信用経済」
もう一つ重要なのが、賭場と博徒が持っていた金融的な役割です。
現代で言えば「庶民金融」や「無担保ローン」に近い存在でした。
- 百姓や町人が急な出費で困ったとき、博徒や賭場仲間が金を融通。
- 祭り・火事・病気・借金返済など、公式な金融機関のない層にとっては命綱。
- ただし利息や取り立ては厳しく、「義理」や「面子」が担保となった。
ここに人情と恐怖のバランスがあり、同時に社会的信用の裏側のシステムとして機能していました。
4. 博徒の「公共性」と「反社会性」の二面性
| 側面 | 内容 | 社会的役割 |
|---|---|---|
| 公共的 | 地域の行事支援、治安維持、金の融通 | 「影の自治」 |
| 反社会的 | 博打・恐喝・縄張り争い・賭場の上納金 | 「秩序の外」 |
この二面性が江戸後期から明治維新にかけて、
博徒→任侠→侠客→ヤクザという形で変化していきます。
つまり、もともとの博徒は「社会の外」ではなく、
むしろ社会の縁(えにし)に立って秩序を保っていた存在だったのです。
5. 賭場は“悪”ではなく“潤滑剤”だった
農民の年貢、商人の取引、職人の賃金——
すべてが固定的な経済の中で、賭場は「余剰の金・時間・感情」を循環させる場所でした。
賭場の金が祭りに回り、祭りが町を活気づける。
損した者にも再挑戦の余地がある——。
それが人情社会の“緩衝地帯”であり、現代で言えばスルスレフ構造的な「潤滑」でもあります。

