なりさん平安時代の農家と江戸時代の農家の米の収穫高はどれくらいの差があった?またその差はどういう技術や自然との向き合い方でかわったことがあれば教えてほしい。
なるほど、平安時代と江戸時代ではかなりの差がついてそうだし、そうでもなさそうだし、想像しにくいですね。
実は平安時代と江戸時代の農家の米収穫高には約2倍以上の差がありました。平安時代の上田で反当たり約156kg(玄米)だったのに対し、江戸時代には約350kgに達しました。この飛躍的な生産性向上の背景には、農業技術の革新と自然との向き合い方の変化がありました。
収穫高の具体的な差
平安時代の『延喜式』によれば、上田(最も良質な田)で1反あたり稲50束、これを玄米に換算すると約156kgでした。一方、江戸時代には幕末の畿内で400kg/反に達する記録もあり、平均的には350kg/反程度と推定されています。現代(平成22年)の530kg/反と比較すると、平安時代は現代の3分の1にも満たず、江戸時代の半分にも及ばない水準でした。
技術革新がもたらした変化
灌漑・治水技術の発達
江戸時代には水車、龍骨車、踏車などの灌漑用具が普及し、水管理の精度が飛躍的に向上しました。玉川用水(1655年)や箱根用水(1670年)といった大規模用水路も完成し、安定した水供給が可能になりました。
これにより、平安時代には水利の制約で十分な灌漑ができなかった土地でも稲作が可能になりました。
肥料革命
平安時代は草木灰、刈敷(草木を刈って敷きこむ)、厩肥などの自給肥料が中心でした。これに対し江戸時代には、人糞尿(下肥)、油粕、干鰯などの「金肥」(購入肥料)が広く使用されるようになりました。
特に都市部からの組織的な糞尿運搬システムが確立し、土壌の肥沃化が進みました。徳川家光は1649年に便所やごみ溜めの作り方まで指示して自給肥料の確保を奨励しました。
農具の改良
江戸時代には千歯扱き(脱穀効率を10倍以上向上)、備中鍬、唐箕、千石どおしなど、作業効率を大幅に改善する農具が次々と開発されました。
これらは平安時代の原始的な農具と比べ、労働時間を大幅に削減しながら収穫量を増やすことを可能にしました。
品種改良と栽培技術
江戸時代には民間の篤農家による品種改良が進みました。冷害に強い稲を選抜して繰り返し栽培する手法により、新品種が開発され収穫量が増大しました。
また、輪作や二毛作の普及により、土壌の疲弊を防ぎながら収穫を増やす技術が確立しました。
自然との向き合い方の変化
平安時代の農業は、自然の恵みに依存する受動的なものでした。限られた自給肥料と単純な農具で、土地の自然な生産力に頼る稲作が中心でした。
一方、江戸時代には新田開発が積極的に推進され、治水・灌漑技術を駆使して自然環境を改変し、人工的に生産性を高める能動的な農業へと転換しました。
肥料の外部調達、水利システムの整備、品種改良など、自然を管理・制御する姿勢が強まったのです。
この約700年間の技術革新により、日本の農業は自然依存型から技術集約型へと大きく転換し、人口増加と経済発展を支える基盤となりました。
参考・参照リンク(平安時代)
政治経済編
国のしくみやお金の流れは、どのように生まれたのか。政治と経済の裏にある人々の暮らしを読み解きます。






