なりさん忍者のルーツはどこから来たの?薬売り?
伊賀・甲賀の忍者の源流は「地侍(じざむらい)」の自衛組織にあります。
もう少し正確に言えば、戦国期以前から存在した「惣村(そうそん)」や「国人層の連合自治」の中に、後の忍者組織の原型が見えてきます。
地侍と惣国(そうこく)
伊賀・甲賀の山間地域は、戦国以前から「中央の権力が及びにくい」土地でした。そこで形成されたのが、農民と地侍が協力して外敵から村を守る惣村共同体。
伊賀では「伊賀惣国」、甲賀では「甲賀五十三家」と呼ばれる自治的な国人連合が発展します。
- 地侍=自営武装農民
- もとは農業を営みつつ、戦が起これば武装して村を守る層。
- 一族単位で小規模な城や砦を構え、「郷士(ごうし)」とも呼ばれた。
- 領主に仕えるというより、自らの土地を守る自立型の武士。
忍びの成立過程
この地侍集団が、互いに情報を交換し、奇襲や攪乱などの戦術を磨いていくうちに、「忍び」=諜報・破壊・隠密行動の専門家が登場します。
- 情報戦や夜襲に長けた者たちが、他国の大名に雇われるようになる。
- 「伊賀者」「甲賀者」として、織田信長や徳川家康の戦でも活躍。
- いわゆる「忍者」として後世に脚色される。
忍者が生まれた社会的背景
- 山が多く、逃げ場・隠れ家が多い地形。
- 領主の統制が弱く、自治が発達していた。
- 武士と農民の境界が曖昧で、両方のスキルをもつ人が多い。
- 村同士の争いや国境紛争が絶えず、情報・攪乱戦術が必要だった。
これらの条件がそろって、「地侍の自衛術」+「自治的ネットワーク」=忍者の戦術体系が形成されたわけです。
後世の変化
江戸時代に入ると、伊賀・甲賀の者は幕府の御庭番・隠密役などに登用され、情報活動を担いました。つまり、地侍の自衛組織が、やがて幕府直属の情報機関へと進化したともいえます。
伊賀と甲賀は似ているようで、自治の仕組みに微妙な違いがあります。以下の図は、忍者が生まれた「社会構造」を可視化したものです。
伊賀惣国一揆の構造(伊賀忍者の源流)
【伊賀惣国】(=伊賀国全体がひとつの自治連合)
│
├─ 上忍(指導層:有力地侍)
│ ├─ 百地氏(ももち)
│ ├─ 服部氏(はっとり)
│ └─ 藤林氏(ふじばやし)など
│
├─ 中忍(実務層:郷士・村役人クラス)
│ ├─ 各地の地侍(地元武装農民)
│ └─ 村ごとの小規模城砦主(館・砦を持つ)
│
└─ 下忍(実働層:農民・猟師・山伏など)
├─ 情報伝達・潜入・偵察
└─ 奇襲・火攻め・後方撹乱など
- 惣国一揆(そうこくいっき)とは、伊賀全域の惣村が横につながって自治を行う連合体。
- 戦国期の伊賀は、守護も領主も実効支配できず、地侍同士の合議制が続いた。
- 「忍びの里」はこの自治の中から生まれた、実践的な軍事ネットワーク。
甲賀五十三家の構造(甲賀忍者の源流)
【甲賀五十三家】(=甲賀郡の国人連合)
│
├─ 代表:望月氏・和田氏・伴氏 など
│ ├─ 定期的に評定(会議)を行い、合議で決定
│ └─ 同盟関係により軍事行動を統一
│
├─ 構成員:地侍・郷士層
│ ├─ 各地の土豪・小領主が参加
│ ├─ 村ごとに「郷中掟」などの自治法あり
│ └─ 外敵に備えた情報網と互助体制を整備
│
└─ 実働部隊:忍び(情報・破壊・夜襲など)
└─ 雇われ兵として織田・浅井・徳川などに出仕
- 甲賀は伊賀より組織的・法的な性格が強い。
- 「甲賀五十三家」は、五十三の有力地侍家が連合を組んで地域を治めた。
- 戦国末期には、互いの信頼関係と情報共有の仕組みが「忍者集団」として完成していた。
伊賀と甲賀の違い(対照表)
| 項目 | 伊賀 | 甲賀 |
|---|---|---|
| 地理 | 山が険しく孤立的 | 盆地的で交通の要衝 |
| 組織形態 | 惣国一揆(全域自治) | 五十三家連合(家単位自治) |
| 特徴 | 合議制・横のつながり | 家法重視・秩序的 |
| 主な氏族 | 服部・百地・藤林など | 望月・和田・伴など |
| 主な活動 | 諜報・奇襲・潜入戦術 | 連携戦・防衛・調略支援 |
| 後世の役割 | 江戸幕府隠密(伊賀同心) | 御庭番・諜報補佐 |
このように、両者とも「地侍の自治連合」がルーツですが、
伊賀は「草の根ネットワーク型」、甲賀は「自治家連合型」といえます。
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参考・参照リンク(戦国時代)
※本カテゴリの記事は上記の公的史料・展示情報を参考に再構成しています。







